チュニジア~地中海、遺跡、砂漠の国~
- MICオンライン教室
- 6月29日
- 読了時間: 6分
更新日:7月5日

皆さま、お元気でいらっしゃいますか♪
例年より一ヶ月近く早く梅雨明けがあけました。雨による大きな被害がなかったのは良かったですが、水不足にならないことを祈ります。
沖縄は珍しく6月から連日の30度越え!そして予報は晴天なのに、突然雨雲と雷で大雨になる、というのが2日くらい続きました。
沖縄特有の「かたぶい」とはちょっと様子が違うようです。
とにかく体調に気をつけましょう!
今回はアフリカの「チュニジア」を訪れます。
まずは位置を確認しましょう。

面積 163,610㎢ (日本の⅖)
人口 約1,078万人
首都 チュニス
民族 アラブ人 98%、ユダヤ人
宗教 イスラム教スンニ派
言語 アラビア語(公用語)、フランス語もかなり通じる
通貨 チュニジア・ディナール(TND) 1TND=42.3円
地図で見るとイタリアととても近いのがわかります。
国土の北と東を地中海に面しているとても温暖な土地です。
紀元前よりフェニキア人が到来し、その後ローマ帝国、ビザンチン、イスラム、オスマン帝国による支配と激動の歴史をたどってきた中で残された世界遺産、そして文化も観光の大きな魅力のようです。
それでは地中海沿岸の青と白の街「シディ・ブ・サイド」からまいりましょう♪
青と白のカフェ

梅雨明けを思わせる抜けるような青空です
チュニジアでは甘い「ミントティ」が定番

目の前にはチュニジアンブルーの屋根と地中海が広がります
こんな楽しい路地もありました

開放的な路上のアートギャラリー✨
「シディ・ブ・サイド」の名前の由来は
1270年 フランス国王 聖ルイ9世が十字軍率いてチュニジアを攻撃中
亡くなったと思われていたのが
実はイスラム教に改宗して生きており
その名を「ブ・サイド」と変えていたという伝説からきています
「シディ」は「聖人」の称号
つまり「聖ブ・サイド」
次はローマ時代の遺跡です
ドゥッガ遺跡

紀元前2~4世紀に繁栄を極め
当時は1万人が住んでいたそうです
この「ドゥッガ遺跡」は規模、保存状態がとても良く
劇場、神殿、住宅、浴場などの施設も見ることができます
カルタゴ遺跡

写真は「アントニヌスの共同浴場」
当時は2階建てで、更衣室やトイレなど100を超える部屋があったそうです( ゚Д゚)
伝説では「カルタゴ」は紀元前814年に
フェニキアの王女エリッサによって建立され
海上貿易や農業を中心に栄えていましたが
ローマとの戦争で壊滅状態にされ
その後ローマによって劇的に復興を遂げた町です
3000年前の話です( ゚Д゚)
ここで街中を覗いていましょう(^^♪
トズールの官庁

官庁とは思えない素敵な建物ですね。
首都チュニスにある「国立劇場」

真っ白な建物に真っ白な彫刻が映えます
アラビア文字までがデザインの一つのようです
旧大公宮殿

アップにして見てください
タイルがすばらしい✨
お土産屋さんを覗いてみましょう(^^♪

フェニキア文化を受けて陶器作りが盛んなようです
奥に掛かっている織物は「キリム」
美しい模様と独特な色合いの伝統的手織物です
こんな陶器のオブジェも!
オレンジパフェ

器の陶器が手が込んでいてすばらしい!
こちらは「キリム」の家具

個性的でかわいいですね
座椅子が欲しいと思っているところです
出店の果物

こんな色鮮やかで豊富な果物を見ると心が豊かになります
思いっきり果物を食したいです
チュニジアのお菓子

右側手前の三色のお菓子は伝統菓子「カルタゴボール」
お雛様のひし餅を丸くしたような可愛いお菓子ですね
和菓子のようでもあります
基本はセモリナ粉にアーモンド、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ
フラワーウォーター、などと合わせて作られたクッキーのようなものらしいです
中にはデーツやイチジクペーストが入っているものもあります
ミントティと一緒にいただきたいです(*^^*)
そうなんです!
「デーツ」はチュニジアの特産品なんです
最近デーツが大好きになり
産地を見ると「チュニジア」⁉
アフリカのどこにあるんだっけ?と
調べたところ、なんと地中海に面していたので
今回の旅行先に決めたのです(^^♪
最後に砂漠地帯のラクダの写真で終わりです

観光客を乗せるために待機しているのでしょうか
座り方がお行儀が良いですね
最大限熱い砂から体を守っているのでしょう
ラクダはお顔がおっとりしているので
見ていて落ち着きます
いかがでしたでしょうか。
「チュニジア」もとても素敵な国でした。
日本人観光客はほとんどなく、町を歩いていると「ニイハオ」と声をかけられた、と書いてありました(笑)
ほんとに遺跡が多く、この他にもローマと同じ大きな円形闘技場が状態良く残っていたり、共同浴場のトイレ跡があったりして興味深かったです。
あちこちに遺跡が残りローマ帝国の勢いのすごさが伝わってきます。
古都「ケロアン」にはアフリカ最古のグランドモスクがあります。礼拝堂と中庭を合わせて8,000人の人が一度に祈ることができます。
地中海気候ですから、食材も豊富で、あまり開発が進んでいないのでチュニジアの人々は素朴でフレンドリーとのことです。
この地球はまだまだ美しい所がたくさんあります✨
参考資料:たびこふれ、旅行達人、ファウラのアラブ料理レシピ
【おまけの話】
⁂フェニキア人の話*⁂
「フェニキア」
世界史の時間に耳にして知っていましたが、実態はなにもわかっていない、ということが今回わかりました(;^_^A
で、調べてみるとこれが結構面白いのです。
今回は「フェニキア人」についてザックリした話ですがお付き合いください(^^♪
* * * * * *
時は紀元前。紀元前15世紀~紀元前8世紀まで繁栄を極めた。
実は「フェニキア人」という人種がいるわけでもなく、「フェニキア」という国があったわけでもない。
古代ギリシャ人が、貿易のために紅海より東からやって来た人々をこう呼んだのだそうだ。
エジプトやバビロニア、今のイスラエルのあたりに居住し都市国家を形成し始める。
紀元前12世紀から、北アフリカからイベリア半島まで進出し、地中海全域を舞台に活躍した。
その交易活動で生まれたのが「アルファベット」だ。その当時は「フェニキア文字」と呼ばれていたが、それが現在のアルファベットの基となった。
優れた商人であり、同時に優れた文明を地中海世界全域に伝えた。現在の文化に多大な影響を与えたのである。
その後、紀元前4世紀にアレクサンダー大王の遠征によりフェニキア人の都市国家が降伏していった。
* * * * * *
現在のスペインの湾岸都市として栄える「カディス」をフェニキア人が作ったという神話あったそうですが、現在の考古学グループによって歴史的事実になったそうです。
葬儀の痕跡や複雑に作られたブローチ、陶器、皿、お椀などからとても洗練された都市国家であったことがわかったそうです。
今から4500年前にすでにすばらしい技術、生活に潤いを持って暮らしていたのですね。
人間ってすばらしいです✨
その文明が脈々と現代まで続いていると思うと感動します。
いかがでしたでしょうか。たまには歴史を紐解いてみるのも楽しいです(^^♪
参考資料:世界雑学ノート、wikipedia
それでは皆さま、爽やかな毎日をお過ごしください(*^^*)
Have refreshing weeks !
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