全国的にはまだまだ寒さが厳しい毎日ですね。
当たり前の生活が少しづつ変わり、季節に関係なくインフルエンザが蔓延したり、頭痛、倦怠感が当たり前になってきています。
こんな時こそ、心の声をしっかりととらえ、元気でいたいですね。
今回は、鴨長明(かものちょうめい、1155~1226)の「方丈記」です。
中三の国語の教科書に冒頭の一節が紹介されていました。私も中学生の頃に暗唱したのを思い出しました。その頃は暗唱しただけでしたが、今回はもう少し調べてみました。
先ずは、有名な冒頭の原文と現代語訳です。古典文学こそ声に出して読んで、言葉やリズムを楽しんでください。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに
浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるた
めしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
(現代語訳)川は絶えることなく、いつも流れている。そのくせ、
水は元の水ではない。よどんだ所に浮かぶ水の泡も、あち
らで消えたり、こちらにできたりしていて、いつまでもそ
のままということはない。世間の人や、その住居を見ても
やはりこのようだ。
参考文献:光村図書 国語3
日本三大随筆の一つと言われています。(他は「枕草子」清少納言、「徒然草」兼好法師)
「随筆」とはいわゆるエッセイ。自分の考えや見聞きしたことをありのままにかいた文章です。ですから、当時の生活、歴史を知るうえでもとても参考になります。
そしてこの「方丈記」の特徴は日本人の「無常観」を表した作品であるということです。
当時の「末法思想」と「浄土信仰」とも関係が深いようです。
次に鴨長明さんの生い立ちを見てみましょう。
父は京都の下鴨神社の神官。当然その職を継ぐこととなる予定だったのですが、18才で両親を亡くし天涯孤独に。後ろ盾がいなくなり跡を継ぐことができませんでした。
和歌と琵琶に秀でていたので、それで細々と生計を立てていきます。
50才の時に神官となるチャンスがあったのですが、それも妨害にあい相続争いに敗れます。その後出家をして、京都の日野に小さな庵を建てました。
その庵の大きさが、方丈(1丈、3m)四方であり「方丈記」の名前の由来だそうです。現代だと四畳半ですね。
この人生を見ただけでも「無常」「世のもの全ての物は移り変わり、いつまでも同じものはない」という思いにいたるのはわかります。
そして気になる時代背景です。
「方丈記」が書かれたのは1212年。鴨長明57才の時の作品です。
時は鎌倉時代の始め。
鎌倉時代といえば、「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」とか「源頼朝、北条政子、承久の乱、守護と地頭、六波羅探題」などなど断片的に言葉だけ覚えているだけですが、こうして見直してみると政治的な決まりごとがたくさん作られた時代だったのですね。
平安の「貴族の時代」が終わり、「武士政権の始まり」です。現在は守護・地頭を設置した1185年を鎌倉時代の始まりとしているのが主流のようです。
初代の頼朝はまさかの「落馬」で亡くなったそうです。征夷大将軍となり7年後ですから、さぞかし無念だったことでしょう。
その後は二男、四男と跡を継ぎますが、それぞれ親族によって暗殺されています。
源氏の将軍独裁の時代はわずか三代で終わっています。
頼朝亡き後は頼朝の妻、北条政子の実家、北条一族が「執権(政治的権力ナンバー2)」となり、実質的に権力を持っていたようです。いつの時代も実際に政治を動かしているのは影の存在なのでしょうかね。将軍は藤原氏から天皇へと変わりますが、ナンバー2の執権はずっと北条一族でした。
鎌倉時代は政治制度、文化に関しても情報量がたくさんです。詳しくは歴史のサイトをご覧ください。
注目はこの時代に多くの宗派が開かれたことです。
平安末期の戦乱が続き人々は救いを求めていたのでしょう。
・1175年 法然・・・浄土宗
・1191年 栄西・・・臨済宗
・1224年 親鸞・・・浄土真宗
・1227年 道元・・・曹洞宗
永平寺建立(こんりゅう)
・1274年 一遍・・・時宗
・1291年 南禅寺建立される
そして大地震や飢饉も多かったようですし、鴨長明さんは「安元の大火」も経験しています。まさに「無常」を感じたのでしょう。昨日まであったものがなくなったり、姿を変えてしまうのですから。大変な時代だったのですね。
なんだか今の時代と似ていますね。
「方丈記」の中では地震の描写があります。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたり、、、、
と続いています。鴨長明さんも「地震ほど恐ろしいものはない」と書いています。
安元の大火の後、鴨長明さんは、「災いの多い都に大金をかけて住まいを作って、そのためにいらぬ心配をして神経をすり減らするのはばかばかしいことだ。」とつづっています。
その後都を離れ、小さな庵で、身の丈に合った、質素で静かな暮らしをしていたようです。
そんな鴨長明でさんですが、俗世間と離れた生活を楽しんでいる自分を感じて、「草庵での暮らしに執着に近い愛着を抱いている自分は、仏教的な往生からは程遠いものではないだろうか」と自身のあり方を問う形でこの「方丈記」を結んでいるそうです。
なんだか冒頭の一節が思い出されますね。
この世は「無常」のもの、と思いながらも、心地よい生活に執着を持ってしまう。
心に仏を思い、全ての執着を手放していく「仏の道」から離れていく自分を俯瞰していたのでしょうか。作品を書いたのは57才。62才に亡くなられています。
この5年間にどんな風に自身の思いと仏の道との折り合いをつけていかれたのでしょうか。
古典から歴史へ。時代背景がわかるととても興味深かったです。皆さんはいかがでしたでしょうか。何を感じられたでしょうか。
これから歴史を学ぶ小学生、復習となる中、高校生、そして学び直しの大人の皆さんも興味を持って見ていただけましたら幸いです(^^♪
参考文献:歴史のまとめ、レキシル、四季の美、ベネッセ教育情報など
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